Hydrex Story
ハイドレックス ストーリー
医療コンサルから水素事業へ
ヘリックスジャパンは、2007年に設立された医療コンサルティング会社で、クリニック経営におけるコンサルティング業務や治験支援を中心に活動してまいりました。
水素吸入体験サロンを新宿御苑に開業
2015年に水素事業へ参入。当時は私が代表取締役を務め、神楽坂に事務所を構えておりましたが、水素吸入器販売の要望を受け、お客様が安心して訪問できるよう、駅近でガラス張りの1階物件を探し、新宿御苑に事務所を移転いたしました。
初年度だけで延べ5,000名が来店!
引越しの際は、依頼元のI社長と相談役、そしてお手伝いのスタッフ、私の4名でデスクや椅子をバンに積み込み、コピー機はどうしても重くて積み込めず、近隣で作業していた方にご協力いただき運搬、すべてを自らの手で行い、1日で準備を整え体験スペースを開業することができました。
当時はまだ水素吸入が広く知られていなかったため、1か月無料で通い放題のサービスを提供。その結果、初年度だけで延べ5,000名のお客様が、朝7時30分から夜11時まで、新宿御苑の体験スペースに足を運んでくださいました。

Hydrex誕生と科学的根拠
Hydrexはもともと事業用の水素マシンを基盤としており、水素カッターなどに活用されていた事業用水素マシンの技術を元に開発されました。
医療分野では、当時すでに水素点滴用の点滴液の製造に用いられていましたが、「針を刺して体内に入れなくても、水素はガスなのだから吸入すればよいのではないか」という発想から、気軽に水素吸入による治療ができるようENERGY GLOBE WORLD AWARD受賞システムをもとに開発されたのがHydrexです。

東京電力との契約実績が信頼の証に
当時の一般的な認識は「民間療法」のような扱いでしたが、実際には「水を水素と酸素に分けて吸入していること」に科学的な根拠があり、副作用が一切無いことを示す論文も存在しました。さらに、NHKで水素に関する情報が取り上げられたこともあり、こうした内容をもとに水素の有効性をお伝えしてきました。
私自身も、根拠の乏しい民間療法には懐疑的な人間でした。そのため、お客様の信頼を得るために、東京電力との契約実績なども裏付け資料として活用いたしました。
東電は、3.11以前に福島第一原発の炉を廃炉にするため「炭化して硬くなった炉をカットし、その場に埋設できる機械」を探していました。原子力発電所では火花が飛ぶと大事故につながりますが、Hydrexの前身である事業用マシンは、水素カッターで分厚い鉄を火花を抑えて切断でき、その性能が厳しい東京電力の規定を通過し、契約につながりました。こうした実績を裏づけに、資料を整えて水素の可能性を伝えてきました。今思えば、水素水ブーム以前から水素事業に取り組んでいたことは、大きな誇りです。


「水素がつなぐ絆」体験スペースで感じた人との繋がり
当時、一般に販売されていなかった水素水を大学病院に購入しに行くほどの水素ファンの方々が体験に集まってきて、隣の席で体験してくださっている方々に説明をしてくださるような日々。そして驚くような改善のお話を体験者ご本人が語ってくださる。私自身もそれに励まされ、ブラックな状況でも少しでも皆さんのご体調か良くなるお手伝いができばとやり甲斐を感じて、体験スペースを運営しておりました。

水素は飲むから吸う時代へ
当時は水素に関する資料が少なく、アナログな私自身がヘリックスジャパンのホームページを立ち上げ、手作り感満載で、Hydrexのパンフレットを作成しました。
その後、難病でお仕事もやめなければならなかったユーザーさんが、改善されたことで、お力添えくださり、コンサルティングしてくださる方やデザイナーの方をご紹介くださって、現在水素の会社で時々使われている、「水素は飲むから吸う時代へ」というキャッチフレーズもその当時に作っていただき、チラシに掲載しました。
2015年、癌の治療で通われていたユーザーさんのご紹介で、有名広告代理店のデザイナーやプロデューサーの方々のお力添えをいただき、モデルも日本代表のアスリートの方がご協力くださり「蘇るわたしのいのち」というフレーズを決定!パンフレットを作成、健康博覧会に初出展の際、パンフレットは、ギリギリ会場に届きました。
本当に皆様のお力添えで、水素の輪が広がり、進んできました。その後もメンテナンスセンターの立ち上げなど、現在もお力添えをいただき、お付き合いが続いています。


医療現場での実証と発展
2016年には、赤木先生が世界で初めてHydrexを用いて癌治療に挑戦され、その成果を東北大学での学会で発表されました。その後、医療施設向けに製造されたのがHycelvaterです。
こうした流れを経て、父がヘリックスジャパンの社長に就任し、医療施設への導入を推進。私は、難病に苦しむ方々やクリニック・サロン事業に水素吸入を導入されたい方々を支援するため、銀座にハイドレックスジャパンを設立いたしました。
はじめに販売協力を依頼され、一緒にヘリックスジャパンの体験スペースを運営し、水素についての知識を与えてくださいましたI社長が亡くなり、現在は水素マシンの権利を買取、製造販売のメーカーとして、水素事業を行っていますが、当時、日本は公には水素の取り扱いを許されておらず、台湾技術の方が発達しており、台湾で共同開発をして、日本に輸入する形をとっていました。
日本の水素元年は、2016年。解禁され、厚労省が先進医療Bの臨床を日本全国で始めました。
その年に設立されたのが、ハイドレックスジャパンです。

待望の国産モデルついに誕生!
まず私は、悲願であった「メイドインジャパン」への強い想いを形にするために動き出しました。地域の異業種交流グループ『AI会』(「学び」「発信」「連携」を柱とする協同組合)を通じて下町ロケットを思わせる職人気質の町工場のF製作所をご紹介いただきました。当初は組合管理のもとで製造をお願いしていましたが、会長が「病を抱える方々のためのマシンであれば組合を介さず直接取引して良い」と特別なご支援をくださり、通常とは異なる形でF製作所社との直接連携が可能になりました。
そこからはF社長と何度も打ち合わせを重ね、配線やねじの位置、ファンの配置・換気口のデザインなど細部まで詰め、用途に適した材質を選定しました。F社長は職人気質でありながら家具設計などのデザイン経験もお持ちで、その視点からの助言が国産機の完成に大きく寄与しました。こうして国内の技術と職人の知恵を取り入れた国産マシンが完成しました。
その後、父が高齢になったため私がヘリックスに戻り、それまでの海外アセンブル中心の体制(アッセンブルジャパン)であったヘリックスジャパンの体制も見直しました。転機となったのがHydrex HX90の導入です。Hydrex HX90を取り入れたことで、HX90を軸にHycellvaterシリーズをOEM制作し、国産化させました。
さらに、従来は部品を国内で調達しつつ海外で組み立てていた既存マシンを国内生産へ移すため、国内工場の開拓を進めました。その取り組みの結果、ET120の国内製造を立ち上げ、HX1600の開発にも着手しました。HX1600のデザインは、私が手掛けたET120のメイドインジャパン版のデザインを基にしたものです。
今も続く「水素の輪」
これまでの歩みは、多くの方々のご支援とご協力なくしては成し得ませんでした。開発をご担当くださったR社長、製造をご担当くださったF社長をはじめ、職人の皆様、デザイナーの方々、医療現場でご助力くださったドクターやスタッフの方々、体験スペースに足を運んでくださったユーザー様、そして水素の魅力を広めるためにご紹介やサポートをしてくださっているパートナーの皆様やサロン様に、心より感謝申し上げます。
私たちは、この支えを力に変え、今後もお客様と共に「水素の輪」を広げてまいります。国内外で培った技術と経験を活かし、安全で信頼できる水素吸入サービスをさらに多くの方々に届け、皆様の健康や生活の質の向上に貢献していくことを、改めて決意しております。
これからも、皆様のお力添えをいただきながら、より良い製品とサービスの提供に努めてまいります。どうぞ引き続き、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
 
 